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	<title>Comments on: 一期一絵</title>
	<link>http://iext.info/blog/archives/82</link>
	<description>表現アーツセラピー(表現アートセラピー）、日米精神医療事情、クリエイティブアーツセラピー、カウンセリングに関する情報を発進するブログ</description>
	<pubDate>Tue, 07 Feb 2012 02:00:42 +0000</pubDate>
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	<item>
		<title>By: micha</title>
		<link>http://iext.info/blog/archives/82#comment-21</link>
		<dc:creator>micha</dc:creator>
		<pubDate>Thu, 10 Jul 2008 17:06:19 +0900</pubDate>  
		<guid>http://iext.info/blog/archives/82#comment-21</guid>
		<description>ちょいわるおやじさん

堅苦しいなど・・wise mindは心にしみます。いつもありがとうございます。
多くの方が「伴走者」を見失い、孤独を感じてしまうのは悲しいことです。また、それをきっかけに心の闇に落ちてしまうのも人のどうしようもないクセかもしれません。「伴走者」をいつも感じていることは本当に心豊かなことです。そして、私たちは互いに心豊かにいられるように励ましあっていきたいなあ、と思います。
多様な思想が共存している心の寛容さ、余裕さ、豊かさがあふれる社会や文化を築いていきたいものです。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>ちょいわるおやじさん</p>
<p>堅苦しいなど・・wise mindは心にしみます。いつもありがとうございます。<br />
多くの方が「伴走者」を見失い、孤独を感じてしまうのは悲しいことです。また、それをきっかけに心の闇に落ちてしまうのも人のどうしようもないクセかもしれません。「伴走者」をいつも感じていることは本当に心豊かなことです。そして、私たちは互いに心豊かにいられるように励ましあっていきたいなあ、と思います。<br />
多様な思想が共存している心の寛容さ、余裕さ、豊かさがあふれる社会や文化を築いていきたいものです。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>By: ちょいわるオヤジ</title>
		<link>http://iext.info/blog/archives/82#comment-20</link>
		<dc:creator>ちょいわるオヤジ</dc:creator>
		<pubDate>Wed, 09 Jul 2008 16:13:39 +0900</pubDate>  
		<guid>http://iext.info/blog/archives/82#comment-20</guid>
		<description>おお！私たちを渡り鳥の休息島とは、言いえて妙ですね。
私もマイカさんの感じ方に似ているのですが、人との出会いは一期一絵の出会いとわずかな瞬間の交流であっても、その人の存在とイメージが人の心に影響を与えて、小さな信頼や安心に変わったときに、大げさですが「心の伴走者」となってしまうことがあります。

ある写真家が書いていました。
人はどんな時でも伴走者がおり、誰かに支えられているものだと思っています。
そのことが心のよりどころになって、人は生きてゆけるのではないでしょうか？
今は、世界の潮流になりつつある排他的な一神教の世界観や、それを源流とする弱肉強食の競争社会の行く末に、どんな未来があるのでしょう。
伴走者を意識し、多様な思想が共存できるようにすることから、私たちが生き延びてゆくための知恵が、生まれるのだと思っています。

私は、このような偏らない寛容な「伴走者」の言葉とその存在を意識することが好きです。
また現実にそのようなことが少しでも出来たら素晴らしいと思います。

すこしオヤジにしては堅苦しかったね。（笑い）</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>おお！私たちを渡り鳥の休息島とは、言いえて妙ですね。<br />
私もマイカさんの感じ方に似ているのですが、人との出会いは一期一絵の出会いとわずかな瞬間の交流であっても、その人の存在とイメージが人の心に影響を与えて、小さな信頼や安心に変わったときに、大げさですが「心の伴走者」となってしまうことがあります。</p>
<p>ある写真家が書いていました。<br />
人はどんな時でも伴走者がおり、誰かに支えられているものだと思っています。<br />
そのことが心のよりどころになって、人は生きてゆけるのではないでしょうか？<br />
今は、世界の潮流になりつつある排他的な一神教の世界観や、それを源流とする弱肉強食の競争社会の行く末に、どんな未来があるのでしょう。<br />
伴走者を意識し、多様な思想が共存できるようにすることから、私たちが生き延びてゆくための知恵が、生まれるのだと思っています。</p>
<p>私は、このような偏らない寛容な「伴走者」の言葉とその存在を意識することが好きです。<br />
また現実にそのようなことが少しでも出来たら素晴らしいと思います。</p>
<p>すこしオヤジにしては堅苦しかったね。（笑い）</p>
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